Velvet Sky
Paint me a wish on a velvet sky,
You demand the answers
but I don't know why
ユリ熊嵐
「”好き”への覚悟とその強さ」
2015年冬(1-3月)のシーズンの中で最も期待していたアニメ「ユリ熊嵐」です。
元々幾原邦彦監督の作品に関しては「輪るピングドラム」という超難解でありながらものすごく全うでカラフルで形而上的な作品がありました。そして今回の「ユリ熊嵐」は、約4年ぶりの新作です。結果、1話から12話を見終わってみると、その期待を裏切らない作品だったと思います。
人を愛するということはどういうことか、世界は個人の愛に対してどれだけ冷たいか、そしてその中で戦うこととはどういうことか、そんなことが描かれていたように思います。
単純に誰かを好きになるとかそういったことではなく、メタファーを完璧に駆使しながら、カラフルかつ寓話的な内容を盛り込んでメッセージを作っていくというのは、本当にすごいことだと思います。他にそういう作品を近年見たことはありません。アニメと同性愛的な描写に抵抗がなければ、すごく楽しめる作品だと思います。
さて、細かい考察は個人で楽しむべき範囲として、個人的に印象的だった言葉があります。
毎回のように出てくる台詞の中で、恐らく最も多く繰り返されたテーゼとして、次の台詞が力強く存在していました。
「私は、スキをあきらめない」
この言葉こそ、この世界で生きていくのに最も大事なことだと思います。それはかつて村上春樹が「1Q84」の境地でたどり着いた愛のコミットメント、即ち「私には愛がある」という完璧で強い精神にも似ています。そういえば厳しい世界の中で愛する二人が、お互いを探し合って困難を乗り越えて出会う、みたいなストーリーもどこか「1Q84」にも似ているような気がします。思えば、作品発表段階のキャッチコピーからそんなことを語っている作品でした。
「その透明な嵐に混じらず、見つけ出すんだ」と。
ちなみに、このアニメの同性愛的描写についてはあまり深い意味は無いと思います。自分はストレートですが、LGBTに対する理解はあるつもりですし、そういう人の方が「自分は他人とどこか違う」ということを早い段階から意識するはずなので、基本的に頭がよく、物事を深く考え、自分と誠実に向き合う人なんだと思っています。この監督にとっては男女の愛憎をリアルに描くよりも女の子同士でサラッと、きれいに扱うほうがやりやすいのかも知れません。
さて、「私は、好きをあきらめない」という宣言は、自己完結することなく他者を巻き込みつつ、自己犠牲も厭わないということへの覚悟さえ含んでいるかのようです。それは諦めではなく、痛みや、排除をあえて受け入れようとする崇高な試みです。本当に人を好きになるとは、単純に好き嫌いの感情だけでなく、そこに鍛錬と忍耐と修練によるコミットが必要なのだと思います。そしてそれは犠牲と覚悟ではありながら、同時に喜びにもなるという崇高なアンビヴァレンスを持つものであると。
こう考えると極めてキリスト教的な性格を帯びてはいるようですが、またそれは神を意識することにも近く、絶対的に強いものとしての「愛」を打ち出しながら、次のようなことを言っていたのだと思います。
「好き」をあきらめるな。
嵐が来ても、排除されようとしても、あちら側の世界に落ちてクマになったとしても。
むしろ「好き」ということは、嵐の中に飛び込んでいくことに他ならないのだから。
監督:幾原邦彦さん (革命少女ウテナ、輪るピングドラム)
主題歌:ボンジュール鈴木さん、八王子Pさん
劇中音楽 - 橋本由香利さん (輪るピングドラム、さんかれあ、他多数)
演出・コンテ・作画監督 (一部抜粋):
阿保孝雄さん (マクロスF、うたの☆プリンスさまっ♪マジLOVE2000% 他多数)
高橋亨さん (ソードアート・オンライン、ちはやふる 他多数)
澤井幸次さん (PSYCHO-PASS、LOBOTICS;NOTES、寄生獣 セイの格率 他多数)
河野亜矢子さん (ラブライブ!、アイカツ! 他)
金子伸吾さん (輪るピングドラム、BROTHERS CONFLICT 他)
相澤昌弘さん (Persona4、LUPIN the Third -峰不二子という女- 他多数)
工藤裕加さん (Niea_7、LAST EXILE-銀翼のファム- 他多数)
佐々木睦美さん (花咲くいろは、TARI TARI 他多数)